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エンタメ小説を文学的に解体することの無意味さ

アフリカの印象 アフリカの印象
レーモン・ルーセル (2007/06)
平凡社
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レーモン・ルーセル『アフリカの印象』のゼミをするにあたり、そのことをヒシヒシと感じたのは間違いないです。
不遇の天才、ルーセルはその一生を己の作品を大衆に知ってもらうことに費やしました。アフリカの印象を例に取れば、本が売れなければ劇にして、また読み方の注を本に挟むなどして、とにかく知ってもらえるように、なにからなにまで自腹をきって努力をした。しかし残念ながら、彼の生きている間、いわゆる大衆に彼の作品が受けたことはなかった。何故か。もちろん面白くなかったからです。というと語弊があるので後々フォローするとして、

現在、アフリカの印象を初めとするルーセルの作品は文学界においてかなりの権威となっています。なぜならこの本はシュルレアリスムの精神を色濃く表しているし、ダダイズムの叢書としても申し分ないから。すなわちそういった人々を牽引し、後のシュルレアリスム、あるいはダダイズムの基盤となった作品であるから。
そしてまた世界で唯一と言っていいほど独特な創作技法によって紡ぎ出されたこれらの作品は、それまで誰もが考えなかった(あるいは考えても実行しなかった)という点で文学史上においても貴重な作品群であるわけです。

ただルーセルは、半ば偏執的とも言えるシュルレアリスト達からの賛辞を一顧だにしませんでした。彼は作品をシュルレアリスト達のためではなく、あくまで大衆のために書いた。正確には大衆に自分を認めてもらうために書いた。ヴェルヌを愛した彼は、自分の発明した文字と語と文の世界に読者を引き込み、それらが紡ぎ出す夢のような物語を体験させたかった。アフリカの印象が失敗すれば、よりわかりやすい構造の『ロクス・ソルス』を書き、アフリカの印象の劇が失敗したのは自分の脚色が悪かったと考えて、ロクス・ソルスの劇は大衆演劇の作家に委ねた。彼はあくまで大衆にすり寄っていった。彼がもしなんらかのメッセージを物語に込め、それを受け取って欲しいと考えたなら、『わかりにくければ途中から読め』というような読み方指南はしなかったでしょう。
自分が天才だと確信し、己の感性のみで作品を創作し、人々に読んでもらえるなら財産を放り出すことを惜しまなかったルーセル。
彼の作品がそれでも売れなかったのには二つの理由があると思います。

その一つめは、最初に書いたように作品自体が面白くなかったこと。もちろん語弊があります。面白くなくはない。全部読めば、これほど楽しめる作品もそうないでしょう。問題は全部読む前に投げ出した人が多いと思われる点です。
アフリカの印象は、一冊の本を大体二分した前後で大きく印象が変わります。わかりやすく前半を第一部、後半を第二部としましょう。第一部ではある場所の風景描写から入り、そこを行くとても長い行列、その後の悲惨な処刑、さらに続く出し物といった事柄が、なんの説明もなく繰り広げられます。なぜ行列が来たのか、罪人はどういった咎で処刑されるのか、延々と続く寸劇はなぜ行われるのだろう。いったいこれはいつまで続くのか?
はっきりって苦痛です。特に一部の大部分を占める寸劇、出し物は膨大な数に及び、一つ一つがまさに驚天動地の天才芸でありながら、入れ替わり立ち替わりに見せられるためにすぐ飽きが来る。まず出し物をやる理由がわからないのだから、読者は宙ぶらりんのまま本を読むことになる。これはきつい。おそらくアフリカの印象を手に取った大部分の人は、この第一部で読むのをやめます。何故って、面白くないから。
一転、第二部に入ったら殆ど全員が一気に最後まで読んでしまうでしょう。なぜか。第二部は第一部の前日譚となり、第一部で行われた一連の行事が『なぜ』行われたのかが全て明かされるからです。訳のわからないまま第一部を読んだ人たちの前で怒濤の如く提示されていく数々の回答。おそらく読者が感じるのは爽快感、それ以外のなにものでもないはず。約束します、最後まで読めばこの本は死ぬほど面白い。
この作品はエンタメです。まさにルーセルがそれを狙って書いたから。でも失敗作。エンタメは最初のヒキが一番大事なわけで、第一部がどこまでもつまらない(第二部を読んだ後に読み返すと驚くほど見違えますが)この作品が大衆に受けないのも当然のこと。劇にしたって最初に観客が見せられるのはよくわからない謎のマジックショーです。筋もなにもわかりゃしない。だからルーセルは『面白くないと思ったなら途中(第二部)から読め』と言った。でも第二部は第一部ありきなので、第二部から読んで面白くなるわけもない。第一部で「なにこれ、全然わかんねぇよつまんね」と思いながら読んでこそ第二部は光る。先に種明かしされて面白くなろうハズもない。ルーセルは親切心のつもりだったのでしょうが、それも失敗だったと言っていい。

もう一つには、なにを隠そう、ルーセルを神の如く崇めたシュルレアリスト達に責任がある。彼らは舞台に焼きリンゴを投げる観客達の中でたびたび悶着を起こし、そのたびにスキャンダルとなった(その前にも、あまりのわけのわからなさでスキャンダルになったりとか)。ルーセルの作品を大衆が避けていったのも、そういった危ない事件によるところが少なからずあるはずです。なにせキレやすい人たちの好きな作品を嫌うのはいつの時代も一緒。それでルーセルは売れなかった。

ルーセルは死ぬまで自分の作品を自分の望むような形で評価されなかった。いや、大衆からは『つまらない』と一蹴されていた。かわりによくわからない前衛的な変人達が「すげぇすげぇ」と喜んでいた。しかしそれは作品自体の面白さではなく、勝手にくみ取った「それまでの常識を破壊した、とことんまでリアリズムを突き詰めた(シュルレアリスム)全く新しい作品だ」といったようなもので。
そして現在も、アフリカの印象はシュルレアリスムの金字塔として受け入れられています。文壇での価値はとても高い。しかしルーセルの望みはそんなものだったでしょうか。多くの人にそれを読んで欲しかった、それだけだったはずです。作家の望むように読めと強制するつもりはありません。それは俺も嫌いです。でもこの本を手に取る人たちは、シュルレアリスムの本だということを何かしらで知っているはずです。そうした人たちに一言いいたい。それが余計なお世話だとしても、
「難しいことは考えないで楽しんでよ」といいたい。

保坂和志がルーセルについて「面白いから読めよ」という以上の評価を下そうとしない(リアリズムがどうのと言ってますが)のが、こんな理由だったらと思います。
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