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ボードゲームが映画になった場合 ~殺人ゲームへの招待~

f:id:Hoshino_Bofura:20110330212323j:image
 Clueというボードゲームがありまして、俺はやったことありませんが結構有名なゲームとのことです。内容を聞けば、似たようなゲームをやったことある人は多いかも知れません。金田一少年のトランプで同じゲームをやったようなやってないような、という記憶が俺にもあります。小学校のときだっけな。

 Clueとはボードとカードを使った推理ゲームで、ざっくりと説明すると「犯人、凶器、犯行場所」を指摘したプレイヤーが勝利する、と言うものです。それぞれの要素は全てカードで表されており、まず正解となる犯人カード、凶器カード、犯行場所カードを誰にも見えないように抜き取り、それ以外のカードをプレイヤーで山分けします。こうすることで、それぞれのプレイヤーは「不正解」の一部を知ることができます。
 あとは順番に、ボード上(閉ざされた館です)の部屋を移動し、推理をします。「この場所で、誰が、なにを使って」というような感じですね。
 もちろん限定された情報による推理なので外れる、すなわち、他の人がそのカードを持っている、という事が発生します。その場合、カードを持っている人は、推理をした人にだけ、自分が持っているカードを見せ、推理が外れている事を指摘することができます。要素がいくつかあるので、カードを持っているのが二人別々(例えば犯人カードと凶器カード)といったこともあると思いますが、その場合、誰か一人が見せれば他の人は見せなくてもよい。
 このとき重要なのは、他のプレイヤーからは、推理が間違っていることはわかるが、どの要素が違うのか、まではわからないということです。こういう風に不確定の要素を積み上げていきながら、最終的に消去法にて正解を目指します。

 今回の「殺人ゲームへの招待」はこのボードゲームのシネマライズとなっており、映画冒頭で「この映画はClueというボードゲームを基にしている」と表示されたり、いろんなサイトで紹介されているので間違いありません。というより原題が「Clue」です。1985年の映画なので俺と同い年ですね。
 別に生年が同じだから、という理由で見たわけでなく、理由の一つにはボードゲームの映画化、ということと、ミステリということと、クリストファー・ロイドが出ていることによります。後はZuneで配信されていたのもありますが。最近はTSUTAYAでなく、itunesやZuneで映画を見ることが多いですね。タイトル数は比べるべくもありませんが、返却の必要がないというのは大きい。もちろん、思い立った時にすぐに選べる、というのもいいですねホント。特にTSUTAYAはおろかレンタル屋が徒歩圏内に無い所では。
 
 無駄にHD画質でしたが、HD画質がなかった頃のフィルムから画質をよくするってどういう技術なんだろうとちょっと思う。ちょっと前に公開されたバトルロワイアル3Dも、視点のずれが必要なはずの3Dにどうやって対応したのやら不思議です。見ておけばよかった。

 あらすじを延々と書くほど奇をてらったシナリオではないので(そして多分、この映画のウリはシナリオではない気もする)、初期に説明される設定を列挙するに留めます。
 ・登場人物はワシントンに関係する、招待された7名と、執事を始めとした何人かの用務員、あと闖入者
 ・招待客のうち6名は、残りの一人から脅迫されている
 ・招待者に雇われた執事は、その脅迫をやめさせるために、客が揃ったタイミングで警察を呼んでいる。
 ・館は山の深くにあり、窓には鉄格子、ドアには錠がかかっており、執事の持つ玄関の鍵が無ければ外に出ることができない。
 ・脅迫者は招待客たちに凶器を配り、秘密を公にされたくなければ執事を殺して鍵を奪うように言う。
 ・部屋の電気が消され、銃声が鳴り響き、再び電気がついたとき、倒れていたのは――!

 いわゆるベーシックな館モノですね。あまりにもお約束すぎて後の展開も約束されているように思えますが、ここからがこの映画の面白いところなんですよ。この映画、ジャンルの中にコメディが入ってるんです。
 ちょっと下品なネタだったりえげつない言葉が飛んだりもしますが、招待客たちはドタバタと館をかけずり回って犯人捜しをします。暗闇の中で起きた殺人の犯人だけでなく、次々と死体が出てくる。まったく関係なさそうな訪問客までが殺されて、もはや犯人はなにがしたいのかもわからなくなってくる。
 途中、訪れた警官が怪しんで家の中を調べようとしますが、このとき彼らは隠蔽工作にいそしみます。お前ら警察に話すんじゃなかったのかよ、とツッコミたくなることうけあい。部屋の中に警官を閉じこめて鍵をかけるといった怪しすぎる行動で時間を稼ぎ、死体と組んずほぐれつするフリ、また酒を浴びせて帽子を被らせ、泥酔してるように見せかけたりと大忙しです。
 途中、凄い勢いで死亡フラグ(この行動をしたら死ぬ、というお約束みたいなもの)を立ててはへし折るようなギャグもあり、ニヤニヤが止まりませんでした。シャンデリアのシーンは爆笑モノです、ホントに。
 さて、探偵役の「犯人がわかった」というセリフから解答編に入るわけですが、それも一筋縄ではいかない。「始めから説明しましょう」と語り始めた探偵は、本当に映画の冒頭から順番に演じなおし、舞台の移りざまを解説していきます。なんども他の人物から「遅い!」と突っ込まれながら早口でギトギトベラベラまくし立てる様は微笑ましいことこの上なく、誰がやっているのかがネタバレの関係で言えないのが残念でなりません。
 
 この、ともすればスベりかねないようなテンションの演出に対し、役者陣も相当濃いメンツです。まず最初に登場する執事ワズワースの顔(笑)とても脂ギッシュな濃いイケメンであるところのティム・カリーが演じているのですが、立ち振る舞いが実に執事然としており、顔が粘土で出来ているのかと思わせるほどなめらかに表情が変化する様は見ていてまったく飽きがきません。また館の全てを熟知しているという性格上、いろいろはっちゃけた動きもしてくれます。冒頭、館に帰ってきた際に意味もなく犬の糞を踏んでいるのですが、匂いに顔をしかめる招待客を非常にスムーズに無視してさっさと案内してしまうのは序盤の笑い所でしょう。次に登場する胸おっぴろげの巨乳メイド、いきなり包丁を突きつけてくるコックなど、「いかにも」な従業員が揃っています。みどころはメイドのイベットを演じるコリーン・キャンプで、地獄の黙示録やスピード2などに出演しているとのことなのですが、とにかくスタイルがよい。ぼーんです、ぼーん。まさにダイナマイト! これは作中でもさんざんネタにされるので「やっぱり気になるんだね」とほんわかした気分になること間違いなし。ちなみに写真の左端の人です。
 その他、ことあるごとにセクハラしようとするスケベや、暇があれば喫煙するヘビースモーカーなど、とにかく列挙に暇がないキャラクターの数々。これらが所狭しと画面の中を走り回り、叫びするのですから、これはもう「ドタバタ」と表現するしかない状況です。ミステリーに特有の緊張感は最初だけ、あとはどのシーンでも笑いのネタを仕込んでいるという有様で、思い切って棚を開いたらアイロン台で頭を打つというのは序の口です。笑いの解説は字でおこなってもアレなので是非見てください。

 さて、コメディとしてのこの映画についてはスペースを取りすぎる形でお伝えしてきましたが(肝心のネタをばらさないように書くのは非常に大変ですね)ミステリとしてはどうなのでしょう。
 かろうじて結末を予想することは可能です、と言っておきます。なぜかと言うと、この映画、もともと公開時に「映画館や公開毎に結末が違う」というのがウリだったんですね。ですので公式の異なる真相が三つあります。それぞれにある程度伏線が張られているので、どれかを予想することは可能ではないかと思われます。ただしこの映画、登場人物がばらけていることが多く、それぞれ殺人が起きた際のアリバイなどを確認するには何度も見直す必要があるのではないかと思われます。非常にあっさりと流される要素もあるので、あまり推理に適した映画とは言えません。他のメディアはわかりませんが、Zuneでの配信バージョンでは、3パターンの全てが順番に流れるのでご安心を。

 この映画が他のミステリともコメディとも異なるのは、もちろん基礎アイデアの部分にボードゲームがある点です。館の内装はボードゲームの舞台そのままだという話ですし、登場キャラクターも(おおむね)ゲーム通りです。最初に配られる凶器もゲームで使用するものですから、もうこれはゲームのファンであればあるほど楽しめる類の映画では無いでしょうか。すると、このコメディ要素による緊張感のなさもメタ的な解釈ができるわけです。曰く、これはゲームをプレイしているのを端から眺めているのだ、と。ボードゲームはメタな立ち位置であるプレイヤーがわいわいがやがやと行うもので、どれだけ悲惨なゲームであっても悲壮感にうちひしがれることはありません。どういう成り行きでも「これはゲームである」という認識があり、悪く言えば弛緩しています。
 そのボードゲームの空気を再現したのがこの映画、そしてそれぞれのキャラクターはプレイヤーのロールだと考えると……ほら、なんか特別な映画に思えてきませんか? 

 思わない?
 そ、そうですか……うまいこと言ったつもりだったんですが。


 

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エンタメ小説を文学的に解体することがいかにめんどっちぃことであるか ~アフリカの印象~



 レーモン・ルーセル『アフリカの印象』のゼミを大学在学中に行いました。
 彼の事を調べていく内に、そのことをヒシヒシと感じたのは間違いないです。

 注意:何年も前の事について回顧しているので、とくに資料などの引用はしておりません
    エンタメ至上主義者の世迷い言レベルの可能性があるので、苦手な人は我慢してください。

 不遇の天才、ルーセルはその一生を己の作品を大衆に知ってもらうことに費やしました。アフリカの印象を例に取れば、本が売れなければ劇にして、また読み方の注を本に挟むなどして、とにかく知ってもらえるように、なにからなにまで自腹をきって努力をした。しかし残念ながら、彼の生きている間、いわゆる大衆に彼の作品が受けたことはなかった。何故か。もちろん面白くなかったからです。というと語弊があるので後々フォローするとして、

 現在、アフリカの印象を初めとするルーセルの作品は文学界においてかなりの権威となっています。なぜならこの本はシュルレアリスムの精神を色濃く表しているし、ダダイズムの叢書としても申し分ないから。すなわちそういった人々を牽引し、後のシュルレアリスム、あるいはダダイズムの基盤となった作品であるから。
 そしてまた世界で唯一と言っていいほど独特な創作技法によって紡ぎ出されたこれらの作品は、それまで誰もが考えなかった(あるいは考えても実行しなかった)という点で文学史上においても貴重な作品群であるわけです。

 ただルーセルは、半ば偏執的とも言えるシュルレアリスト達からの賛辞を一顧だにしませんでした。彼は作品をシュルレアリスト達のためではなく、あくまで大衆のために書いた。正確には大衆に自分を認めてもらうために書いた。ヴェルヌを愛した彼は、自分の発明した文字と語と文の世界に読者を引き込み、それらが紡ぎ出す夢のような物語を体験させたかった。アフリカの印象が失敗すれば、よりわかりやすい構造の『ロクス・ソルス』を書き、アフリカの印象の劇が失敗したのは自分の脚色が悪かったと考えて、ロクス・ソルスの劇は大衆演劇の作家に委ねた。彼はあくまで大衆にすり寄っていった。彼がもしなんらかのメッセージを物語に込め、それを受け取って欲しいと考えたなら、『わかりにくければ途中から読め』というような読み方指南はしなかったでしょう。
 自分が天才だと確信し、己の感性のみで作品を創作し、人々に読んでもらえるなら財産を放り出すことを惜しまなかったルーセル。
彼の作品がそれでも売れなかったのには二つの理由があると思います。

 その一つめは、最初に書いたように作品自体が面白くなかったこと。もちろん語弊があります。面白くなくはない。全部読めば、これほど楽しめる作品もそうないでしょう。問題は全部読む前に投げ出した人が多いと思われる点です。
 アフリカの印象は、一冊の本を大体二分した前後で大きく印象が変わります。わかりやすく前半を第一部、後半を第二部としましょう。第一部ではある場所の風景描写から入り、そこを行くとても長い行列、その後の悲惨な処刑、さらに続く出し物といった事柄が、なんの説明もなく繰り広げられます。なぜ行列が来たのか、罪人はどういった咎で処刑されるのか、延々と続く寸劇はなぜ行われるのだろう。いったいこれはいつまで続くのか?
 はっきりって苦痛です。特に一部の大部分を占める寸劇、出し物は膨大な数に及び、一つ一つがまさに驚天動地の天才芸でありながら、入れ替わり立ち替わりに見せられるためにすぐ飽きが来る。まず出し物をやる理由がわからないのだから、読者は宙ぶらりんのまま本を読むことになる。これはきつい。おそらくアフリカの印象を手に取った大部分の人は、この第一部で読むのをやめます。何故って、面白くないから。
一転、第二部に入ったら殆ど全員が一気に最後まで読んでしまうでしょう。なぜか。第二部は第一部の前日譚となり、第一部で行われた一連の行事が『なぜ』行われたのかが全て明かされるからです。訳のわからないまま第一部を読んだ人たちの前で怒濤の如く提示されていく数々の回答。おそらく読者が感じるのは爽快感、それ以外のなにものでもないはず。約束します、最後まで読めばこの本は死ぬほど面白い。
この作品はエンタメです。まさにルーセルがそれを狙って書いたから。でも失敗作。エンタメは最初のヒキが一番大事なわけで、第一部がどこまでもつまらない(第二部を読んだ後に読み返すと驚くほど見違えますが)この作品が大衆に受けないのも当然のこと。劇にしたって最初に観客が見せられるのはよくわからない謎のマジックショーです。筋もなにもわかりゃしない。だからルーセルは『面白くないと思ったなら途中(第二部)から読め』と言った。でも第二部は第一部ありきなので、第二部から読んで面白くなるわけもない。第一部で「なにこれ、全然わかんねぇよつまんね」と思いながら読んでこそ第二部は光る。先に種明かしされて面白くなろうハズもない。ルーセルは親切心のつもりだったのでしょうが、それも失敗だったと言っていい。

 もう一つには、なにを隠そう、ルーセルを神の如く崇めたシュルレアリスト達に責任がある。彼らは舞台に焼きリンゴを投げる観客達の中でたびたび悶着を起こし、そのたびにスキャンダルとなった(その前にも、あまりのわけのわからなさでスキャンダルになったりとか)。ルーセルの作品を大衆が避けていったのも、そういった危ない事件によるところが少なからずあるはずです。なにせキレやすい人たちの好きな作品を嫌うのはいつの時代も一緒。それでルーセルは売れなかった。

 ルーセルは死ぬまで自分の作品を自分の望むような形で評価されなかった。いや、大衆からは『つまらない』と一蹴されていた。かわりによくわからない前衛的な変人達が「すげぇすげぇ」と喜んでいた。しかしそれは作品自体の面白さではなく、勝手にくみ取った「それまでの常識を破壊した、とことんまでリアリズムを突き詰めた(シュルレアリスム)全く新しい作品だ」といったようなもので。
 そして現在も、アフリカの印象はシュルレアリスムの金字塔として受け入れられています。文壇での価値はとても高い。しかしルーセルの望みはそんなものだったでしょうか。多くの人にそれを読んで欲しかった、それだけだったはずです。作家の望むように読めと強制するつもりはありません。それは俺も嫌いです。でもこの本を手に取る人たちは、シュルレアリスムの本だということを何かしらで知っているはずです。そうした人たちに一言いいたい。それが余計なお世話だとしても、
「難しいことは考えないで楽しんでよ」といいたい。

 保坂和志がルーセルについて「面白いから読めよ」という以上の評価を下そうとしない(リアリズムがどうのと言ってますが)のが、こんな理由だったらと思います。

しんのすけ少年が本気で惚れた女の子 ~嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ~



 誰ってつばきのことなんですけどね。
 作中でいろんな人に惚れるしんのすけですけど、
 別れたときに動けなくなるほど落ち込んだのはつばきひとりだけ。
 そういう意味でカスカベボーイズはちょっと特別な映画だと思ってます。エンディングクレジットにもしんのすけとつばきしか出ないしね。踊るふたりのなんと幸せそうなこと。
 戦国大合戦以降ぱっとしないと言われてるけど、カスカベボーイズは名作ですよ。

 詳しく書きます。
「ストックキャラクター(典型的キャラカテゴリとでもいいますか)」を用いてカスカベボーイズのラストについて説明しようと思います。
 ストックキャラクターの詳しい説明は、おそらくwikipediaを読むのが一番わかりやすいと思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
 今現在使われている『属性』とはまたちょっと違うニュアンスですね。
 どちらかと言えば『役割』とか『立場』みたいなものです。

 まず大長編でのしんのすけの役割を考えてみると、見事なまでに「コピーテントマン(万能人。ジェームズ・ボンドやルパン三世のような)」であることがわかります。また「女たらし(五歳でなければヒロインとやりたいほうだい)」「愚者(一見なにも考えていないようなそぶりを見せているが、突然重要なことを喋る)」やそれとは対極に位置するはずの「ジョークスター(グループ内で常に上機嫌、楽天的で事態の深刻さに対応できる」すら演じています。たまに冗談交じりに「しんのすけはもの凄い天才なんだよ」と言われたりしますが、実際、彼のカリスマ性や行動能力、思考能力は(デフォルメされた世界だとしても)並大抵のモノではありません。しんのすけは完全無欠のヒーローとして春日部に君臨しています。
 その活躍ぶりはどの映画を見てもわかると思いますが、一番大事なのは「立ち上がるのは彼が最初」である、という点です。例えば踊れアミーゴで一番最初に異変に気づくのは風間君ですが、彼は立ち上がることができずに負けてしまいます。オトナ帝国でもジャングルでも彼が最初に行動を起こし、みんなを引き連れて出発し、引き連れて帰るのです。
 しんのすけには一見なんの弱みもないように見えます。彼の仲間や家族はたびたび敵につけ込まれますが、しんのすけはそう言うことはありません。ヘンダーランドなどではひとりで戦う場面もあります。彼は、とくに映画の中ではみんなを正しい道へ連れ戻す役割をキャラ付けの段階で定められています。

 長々と書きましたが、ここからがカスカベボーイズについて。
 さて、今作でもしんのすけはいかんなく「コピーテント・マン」としての役割を果たすわけですが、その際、他の、特に洋画での主人公と同じくヒロインつばきに恋します。今までの映画にもいわゆる「しんちゃんガール」は出てきたわけですが、しんのすけの態度がそれまでとどこか違う。

 女性に優しいのがモットーのクセして、ボーちゃんに「恋だね」と言われると全力で否定。「冗談言わないでよぉ」という様はいつもと違い、視聴者が何故か気恥ずかしい気分にとらわれます。

 しんのすけは彼女に知事の屋敷から逃げるように言います。「オラが食べさせてあげるのに」否定したにしてはなんという物言い。最初に会ったとき、他のしんちゃんガールに比べて反応が薄かったのが信じられません。

 そして終盤。蒸気機関車の中でつばきと二人きりの場面。
「春日部に戻ったら、オラと結婚を前提におつ、つ、つ……」
 まさか、しんのすけが口説き文句を恥ずかしがって最後まで言えないとは俺も思いませんでした(笑)。女たらしのしんのすけが一番大事な箇所をミスっています! これはいったいなんなんだ! しんのすけにいったいなにが起きた!? 

 ……とまぁ、しんのすけは悪党に捕まったつばきを助ける場面でオイシイ思いをしたりしながら事件を解決するわけですが、問題のシーン。
 カスカベボーイズの最終盤、映画の世界から抜け出た後の行動は、少し不自然な位しんのすけの感情が上下します。

・つばきを探し、いないことがわかるとわめき、あまつさえ映画の中に帰るとまで言い出す→仲間に引きずられて出口まで→何かの音に気づく→シロが現れ、急に立ち直り、何事も無かったかのように帰る。

 とくにシロが現れてからのしんのすけの立ち直りは異常とも言えます。
 これをシナリオの都合と感じるかは個人の自由ですが、オトナ帝国、戦国と良作を発表した直後(つっても二年後)ですから、そういった手抜きは無いと考えて真面目に考察してみます。

 しんのすけがつばきにベタ惚れしていた、それは間違いありません。
 なぜなら作中では「正しいことしか言わない」ボーちゃんがはっきりと明言しているからです。ちなみにボーちゃんの役割は「補佐役(副官か副司令で、常にリーダーが信頼している人物。いつも欠くべからざる人物である)」です。
 しんのすけの仲間の中では一番頭脳明晰で頼りになる存在。ドラえもんでたとえて出来杉君と言えばわかりやすいでしょうか。まぁつまり、
ボーちゃんが言えばそれは絶対なんです。
 それではしんのすけのホレ具合がどれほどだったのか。
 作中でしんのすけはつばきをお嫁さんとして迎えたい旨を何度か発しています。不思議なことに、いつもの安易な口説き文句(もう古いで
すが「納豆にネギ入れるタイプ~?」)などは姿を現しません(はっきりとデータを集めて確認したいですが)。はて、しんのすけのしんのすけ
たる所以が無いとはどういうことか。映画の世界から出た後、しんのすけはなりふり構わずつばきの元に戻ろうとして、それが敵わぬとなると地べたに張り付いて動かなくなります。それほどショックだったのでしょう。
 俺はそれほど惚れていた、という感想を持っていますけど、他の人はどうなんだろう。

 ここで、しんのすけの役割にヒビが入ってしまいました。つまり「コピーテント・マン」でも「ジョークスター」ではなくなってしまった
のです。恋する少年はいつものように胸を張ることもできず、楽観的に物事に対処することができなくなってしまいました。それほどの一
大事がこの時彼の中で起きた。
 モブキャラが映画館を出るまで十分程度あったかもしれません。しんのすけはその間、ずっと倒れっぱなしです。帰る段階になっても動けません。コピーテント・マンから崩れ落ちた彼は失意のどん底で動けなくなってしまいます。

 ……そしてシロを出迎えて立ち直ります。



 なんじゃそりゃ!


 と思った人は多いんじゃないか。俺もです。何事もなかったかのように扉を出て行くしんのすけ。最後に振り返るのは何故か父親のひ
ろし。あの一瞬でしんのすけはつばきを忘れてしまったのでしょうか? んなわけない、ないはずだ! というわけで、本題も本題。

 シロが現れた段階で、しんのすけは日常に戻ります、という。
 今作でのシロはしんのすけと日常を繋げる役割を果たしています。つばきに話したりね。ななこお姉さんのことはつばきに告白した時にはすでに忘れていたりで、どうにも重要な要素ではない。なぜしんのすけが春日部のことを忘れなかったと言えば、シロの存在が大きいと思って間違い
ありません。

 一言で言えば、シロはしんのすけを救ったのです。
 コピーテント・マン、ジョークスターから落ちぶれて、一介の恋する少年になってしまったしんのすけを元の完全無欠に戻すために、わざわざ映画館までやってきたのです。しんのすけの心理的にはどうでしょうか。つばきと別れた後、絶望の淵に沈んでしまった。このままでははい上がれません。
 そこにシロがやってきた。映画の世界でつばきに話したシロがやってきた。「おなかをすかせているゾ」と話したシロがやってきた。シロはしんのすけの家族であり「一番の」親友です。それはケツだけ爆弾を見てもわかるでしょう(俺はあまり好きではありませんが)そんなシロに、まさかこんな姿を見せるわけには……
 いかない。

 んじゃないかなぁ、彼としては。俺はそう思う。
 そういうわけで、しんのすけはシロに弱い姿を見せまいと立ち直ってしまったのでした。コピーテント・マン、復活。
 そして最後に父親たるひろしは、息子を男にしたつばきに礼をして去るのでした。

 以上がカスカベボーイズのラストにおける俺の解釈です。
 コピーテント・マンたるべきしんのすけが、そうでなくなったまま物語を終わるわけにはいきません。子供向けでもないし、クレヨンしん
ちゃんらしくもない。そこで一番の親友たるシロが現れて、彼を元の役割に戻しました。シロが現れたおかげで、しんのすけはしんのすけらしく退場することができたのでした。ハッピーエンドです。クレヨンしんちゃんは悲劇であってはならないのですから、もちろん最後はハッピーエンドに決まっています。今回は危うかったけれど、それを達成することができました。しかし二度も三度も使える手ではありませんから、これからしんのすけが、ヒロインとの別れが必ず来る映画の中で「真剣に惚れる」ことはないと考えていいでしょう。そう言う意味で、この映画はとても特殊で、俺が好きな理由でもあります。おしまい。


 蛇足。
 悲恋でないと書きましたが、この映画はとても悲しい映画です。
 実はこの映画で、しんのすけはゲストキャラクターにきちんとお別れを言えていないのです。しんのすけはまさかつばきが映画の登場人物とは思ってもいなかったので、チャンスを逃してしまっているのです。
 それが最後のシーンのどん底ぶりにも繋がっているのでしょうが、水島監督はその点で残酷です。しかし、これしか手がなかった、といえばそれもあたり前。映画の中でそれが判明してしまえば、シロが来ることのできない場所で暮らすことをしんのすけは選択してしまうでしょうから。
 日常を侵さないために、つばきを春日部に連れてくることはできない。そのためにはしんのすけには悪いけれど、ある種反則気味な方法で無理矢理別れさせるしかなかった。
 しんのすけがゲストキャラクターであれば、そういうことは無かったのです。
 ヒーローである、という制約は、時としてしんのすけに試練を与えるのです。

 エンドクレジットでの二人の世界は、水島監督のせめてもの謝罪じゃないでしょうか。あれで俺はちょっと救われました。

 更に蛇足:つばき
 つばきのこの作品内での役割は当然「ダムゼル・イン・ディストレス(囚われの姫君)」です。一番わかりやすい例を挙げればカリオスト
ロのクラリス。二つの作品の別れ方の違いはそのままルパンとしんのすけの違いになります。
 しんのすけが成長したらルパンになってもおかしくないと俺は思いますよ(笑)

ラ・のべつまくなし読了



 タイトル一本釣りどうも、ボウフラです。

 更新するたび久しぶりですが、今回は電子書籍デビューしたのでその記念すべき一冊目の感想とか。ついでに電子書籍のよいところ、不便なところとかも併せて。
 あと詳しい所を書くと電子書籍デビューは違う作品なんですが、あんまりこだわるのもどうかと思いますね僕。

 ライトノベルに限らず、タイトルは作品の顔です。新書に関してはバカの壁がよく例に出されたり、山田悠介のリアル鬼ごっこなんかが秀逸なタイトルと評判だったりします(中はさておき)
 俺はよくタイトル買いをします。表紙買いでなくタイトル買い。面白そうなタイトルであれば買う、というものです。つい最近は

この中に1人、妹がいる! (MF文庫J)この中に1人、妹がいる! (MF文庫J)
(2010/08/21)
田口 一

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を買って後悔したり、最期まで読んでやっぱりよかったと思ったり忙しい。最近って言っても年末ですが。
 いつ頃かは知りませんが、俺が気づいたのは「俺妹」あたりじゃないですかね。ライトノベルのタイトル、長くなってますよね。誰かのセリフのようなものが増えています(↑のようなパロディもののタイトルも)。この流れがいいのか悪いのか俺にはさっぱり判断がつきませんが、前の用にタイトル買いをあまりしなくなったのも事実でして、むしろ「あらすじを読むと買う気がそがれる」タイプの俺としては良書を逃してる感が強くてやきもきする次第。あまり、セリフのタイトルは惹かれないのです。
 さて、タイトルはもちろんセリフ式だけでは無いんですが、古来より受け継がれているいわゆるベーシックなタイトルでのタイトル買いもあまりしません。ベーシックなタイトルというのはいわゆるソレなタイトル群の事で、熟語だけとか複合語だけとかいうものです。ひらがな四文字も今やベーシックです。誤解を恐れずに言うと「捻りのない」タイトルというか、タイトルに秘密がないもの、というか、みたいな。特定の作品をディスるのが目的ではないので歯切れが悪いですね。
 であれば、俺がタイトル買いをするのはどういうモノなのか、というと、そのままベーシックなタイトルの反対になります。タイトルに秘密あり、というか「捻った」タイトルというか、ようするになんかうまいこと言ってそうなのが好きなんですねワタクシ。
 そういう意味で、嘉門達夫のパロディをうまく萌えに組み込んだ妹一人なんかは思わず手にとってしまうわけですが、しかしこれは嘉門達夫のパロディであると知らなければ意味がないのでニッチな層をついてるのだなぁ、そもそもメインユーザーである十代は知ってるのでしょうか、とかそういったことに想いを馳せたりします。
 
 すごくすごく前置きが長くなって申し訳ないんですが、つまり今回のエントリの主役「ラ・のべつまくなし」はタイトル買いしたものです。著者は初めての人ですし、あらすじも値段も見ずにタイトルだけで買いました。あとちょっと「表紙に男がいる」とういうのも背中を押してくれました。表紙に男がメインをはってるライトノベルは名作率が高い気がします。
 
 ええ、さて、今回は電子書籍デビューと言うことで、パピレスにて本作を購入しました。ガガガ文庫はほぼ全てのタイトルが電子書籍化されており、本で買うよりもちょっとお安い(しかしイラストは表紙しかついていない)値段でお求めできます。
 俺が使っている端末はsony readerでして、

SONY(ソニー)電子書籍リーダー Reader Touch Edition/6型 レッド PRS-650-R

SONY(ソニー)電子書籍リーダー Reader Touch Edition/6型 レッド PRS-650-R

 電子書籍リーダーとしてはタッチパネルによる落書きができる、という点がウリのシロモノです。自分か書いたものを推敲するときに使う用ですが、これまでに書いたものが全部この中に入り、しかもいつでも閲覧できるというのは非常に頼もしく、また付属のスタイラスで自由に誤字脱字をチェックしたりなどもできます。ほぼこれが目的で買ったのでこれまで電子書籍には手を出していませんでしたが、そろそろラインナップの揃い方を見て書店を絞ることができたので、買ってみようかなぁと。

 ちなみにこのreaderにはSONYが用意した電子書籍ストアがあるのですが、販売点数が少なすぎてろくに使えません。幸いパピレスは公式にreaderに対応しているので活用すると吉ではないかと。

 このラ・のべつまくなしがいかに秀逸なタイトルであるかは(多分)説明するまでもないと思われますが、こういうのは「うまい」が二種類ございまして、通常の言葉遊びの他に、いかに作品を表しているか、というものが加わるわけですね。
 いやしくも商業作品であるからには「タイトルと中身がちがくすぎね?」という事態はほぼあり得ませんので、このタイトルは中身を表していると考えられます。するとここに「のべつまくなし」という単語を選んだ面白さが浮かんでくるんですね。ちょっと古風なこの言葉は「絶え間なく」という意味になるんですが、もうここで妄想力が迸る感じです。表紙の二人の男女はそのまま「ラノベ」と「のべつまくなし」の単語間のギャップと同じような「現代感」と「昭和感」を醸し出しており、というふうに小難しく文字を連ねるのも面倒なんですが、面白くないわけがござらん。
 そういうわけで、多少イラストの力を借りながらも、このタイトルに釣られた感はわかってもらえたんじゃないでしょうか。わからん? 知らん。

 あらすじ
 祖父の志を継ぎ、純文学作家を目指す青年、矢文学(通称ブンガク)は、やる気とは裏腹に芽を出せずにいた。所属する出版社の売り上げワースト記録を更新する彼は、その出版社が純文学から撤退するにあたり、担当編集の薦めでライトノベルを書くことになる。彼が書いたライトノベル「かみたまっ」は女子を中心にまさかの大ウケ、アニメ化、映画化と一大ブームを築くことになった。
 ライトノベルでヒットメーカーとなったことに幾ばくかの不満を覚えていた彼は、一人の少女と出会う。行きつけの図書館で一目惚れした女の子は、なんと自分のライトノベルのファンだという。舞台のモデルとなったこの図書館を「聖地巡礼」していたのだ。目の前にいる青年こそが自分の尊敬するライトノベル作家だと知った少女は「かみたまっ」への愛を思うさまぶつけてくる。そこには男同士の友情から少しずれた心情を読み取って興奮する様が伺える――そう、極度の二次元恐怖症(漫画絵を三秒見ると気絶する)で意識を失った彼が惚れたのは、腐女子だったのだ――

 というような感じです。
 この作品に関して思うところはヤマほどありますが(二次元恐怖症を最初の方である程度あっさり克服したり、結局仲直りしてなくね?とか)そういう要素をもってして押さえきれぬ甘酸っぱさが最大の魅力と言えましょう。オタクとはかなり無縁だった純文青年とオタクのメインストリームで生きてきた腐女子少女の恋愛小説というのは(男女が逆転してるのは電車男を始め多いですが)珍しくもあり、それでいてブンガク君は純で一筋な健康体の青年であるわけで、現代を舞台に80年代の香りがする純愛が繰り広げられます。
 スパイスとして執事喫茶だったり冬コミだったりでのデートがあるわけですが、なにせブンガク青年は一切未経験の中に放り込まれるわけで、その初々しい反応を読むだけでも楽しい。ここで重要なのが、このブンガク青年、最近のラノベにありがちな「一般人気取りの隠れオタク」臭が一切しないんですね。この「一般人気取りの隠れオタク」臭についてはまた時間を取るとして、ブンガク青年が現代の利器とカルチャーにだんだん触れていくのは面白い。彼の少女明日葉に対する一途な想いも、明日葉のブンガクに対する偏見(腐女子ですから)も面白い。途中、些細なことで(本当に些細なことで)ブンガク青年は出版社を巻き込む騒動をくりひろげることになるのですが、大正・昭和感溢れる彼がインターネットを駆使して明日葉にメッセージを届ける様は見ていてドキドキすること間違いなしですね。このクライマックスに至るまでの一連のイベントは本当に秀逸で、これきっと他のメディアに出しても遜色ない出来になると思うんですよね。題材がラノベ、というのがネックと言えばネックか。このラノベという部分がクリアできてるラノベ読者であれば読んで損はないと思いますよホント。とくに最近のどぎついネットスラングにまみれた小説に辟易しがちな人たちなんか特に。

 今回、これを書くうえで非常に苦労したのが、「電子書籍端末はパラ見ができない」という点です。
 ふと「あれえ、これどうだっけ、どこに書いてたっけ」と思っても、電子書籍ではあたりをつけて探すことができません。一枚ずつページをめくりめくりするか、ページ指定でドンピシャを見つけなければならず、また紙に比べてページめくりにラグがある、と言うのも捜し物には向きません。ラグは普通に読むのであれば全然気にならないレベルですが、これらと「読んだ後に質量として部屋に残らない」という利点のどちらに重きを置くかで、本で買うもの、電子で買うものの区別が出来ていければいいなと思います。

本物のヲタクは萌えた時、「萌え~」と言わない オゥフの世界

http://blitznews.blog97.fc2.com/blog-entry-710.html
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/12/17(月) 20:26:26.38 ID:vKqfdZvP0
唇の片端をあげつつ

オゥフ・・と呟くのがブリティッシュスタイル



 オタクの新言語「オゥフ」
 いったい何と発音するのか? おうふ? うふ? おーふ?
 いったいどういう意味なのか?
 今日は本気出して考えてみることにします。勉強したくないんで。

 そもそもなぜ「オゥフ」なのか。と言いますと、俺が考えていたようなものとは別の使い道が上記の例として現れたからなんですね。俺が考えていた「オゥフ」はもっと違う。でも実際に上のような例がある。思っていたより「オゥフ」は汎用性の高い言葉なんでしょうか。
 というわけでいくつか例を挙げながら考えていきましょう。
 本当はコーパスなんかあればいいんですが、あいにくオタクコーパスなんて前衛的なシロモノはないわけでして(もしかしたらあるのかもしれんけど)googleさん、yahooさん、msnさんを利用させてもらいましょう。
  google 2,570 件
  yahoo 約423件
  msn  115 件
 あんまり広まってるわけではないようです。やる気すっごい削がれました。
 で、「オウフ」でも検索してみるとこっちの方が一般的?なようです。
  google 約 5,850 件
  yahoo 約1,050件
  msn   682 件
 一番大きいgoogleさんに残り二つでヒットするサイトは含まれていると思うんです。
 だからまあ、今現在ネット上にある「オゥフ」「オウフ」は約8000件ですね。
 
 重複してるものもあると思うんで、実数は6000~7000件だと思います。

 まず上記のシチュエーションでの「オゥフ」
 これはタイトルの通り、「本物のオタクが萌えたときに使う」となっています。他にも「デュフッ」「ウグッ」などの息詰まり系、「ほぅ」「これは……」などの芝居がかり系、「きゅん」「股間にくる」「転がりたくなる」「目を見開く」などの無言系があります。確かに「萌え~」って使うのは「お前はオタクか!」という突っ込みを待つときかマスコミくらいしか使用されませんが、それは置いておくとして、それらの中に「オゥフ」がありました。
 この「オゥフ」は息詰まり系に分類されるのでしょうか。でも「口の端を上げて」とついているので芝居がかり系でもありそうです。これは発音の仕方に関わってくるので重要ですが、とりあえず二つとも考えておきましょう。ちなみに発音は全部「こんな感じかな?」的なのでご了承ください。
  シチュエーション:萌えたとき
  発音:息詰まり系「ォゥッphッ」芝居がかり系「オウフ」




http://blog.livedoor.jp/deal_with0603/archives/51113344.html
嬉しかったけどキモイメール
536 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2007/11/22(木) 00:52:42 ID:dioo+Dcy
嬉しかったけど、きもいと思った彼からのメールです

彼『きのう電話して思ったよ。やっぱり俺は〇〇のことが好きなんだ そして〇〇はかわいい(*^o^)

そんなわけで今日は〇〇のことばかり考えてました

(~з~)「〇〇…〇〇好き……チュッチュッブチュブチュチューーーーブチュズズビズビズバズビビビズビブバズズー オ、オゥフ」』



 ( ^ω^)……さて
 彼氏が興奮してくれるのは嬉しいようですけどこれはキモイ、確かに。
 さて、シチュエーション的には「恋人を想って興奮(発情?)中」のようです。咽せてるんでしょうか? なんか吸ってるから吸い過ぎて咽せた感じですか。それとも感想的なうめき声なのか。個人的には咽せたのを表してるのかと思いますがどうでしょう。最初の方は「好き……」と言葉を発していますがキス? しゃぶり? からだんだんエスカレートして咽せる、的な。
  シチュエーション:興奮中
  発音「ォゥフッ!」 ゥは殆ど消えかけ

 だんだんばからしくなってきてますが続きます

http://scissor-rose.seesaa.net/
語れシザーローズ!-メチャメチャ参った!-
「車がデュクシされたらオゥフしたwwwwwwwwwwwwwwwwwww」


 俺が考えていた使い方です。個人的な内容のブログはのせたくなかったんですがズバリ
あったのでのせます。無許可でスイマセン。
 デュクシ、というのは「殴られた時の擬音」です。小学生が相手にフックするとき、「ボコっ」「バキッ」といった漫画的表現ではなく、リアリティを出すために「デュクシ」と言うことに由来します、と思ってたら実はもうちょっと違う由来だったようです。
  参考文献はてなダイアリー
  http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%E5%A5%AF%A5%B7
 まぁ殴打時の擬音、というのは変わりません。今回の例ではそれを名詞的に使っていますね。「メガネする」みたいなのと同じです。「車を殴ったらオゥフした」という感じです。
 この例では主語がわからんのですが、「デュクシされた車の持ち主がオゥフした(と言った)」と考えれば矛盾がありません。多分。と言うわけで
  シチュエーション:車を殴られてショックを受けた時
  発音「ォゥフッ」(ゥは気持ちはっきり)


 俺が考えていた使い方、とはつまりこれで、「オゥフ」の初出は「デュクシ→オゥフ」だったと思うんですが、と探していたらありました。

http://2log.blog9.fc2.com/blog-entry-1901.html
東大とFランの学生の違い
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/16(水) 19:43:03.36 ID:Lr1q0jkb0
肩がぶつかった時

Fラン
男A「あ?おいコラ。どこ見てあるいてんだよ」
男B「なんだと?てめぇだろ。ぶち殺すぞ」

東大
男A「デュクシwwwフヒwwすいませんww」
男B「オウフww大丈夫ww大丈夫ですww」


 おそらくこれが初出です。このレスの「オウフ」がすごい新鮮な受け取られかたをしています。まだ生まれて半年くらいしか経ってないとしって愕然。もうちょっと前かと思ってた。
 ちなみにこれはまんま
  シチュエーション:殴られたとき
  発音:ォゥフッ(おふっ的な)



 で、最後です
http://blog.livedoor.jp/michaelsan/archives/50627342.html
セクロス中に イラっとくること
24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/06/30(土) 09:00:10.56 ID:vugeyDMcO
あえぎ声が「オゥフwwwオゥフwwwwwwww」


 サンプルに偏りが……でも個人の日記とかで書いてるブログは転載しにくいんです。勘弁してください。ですからここにあげたのは2ちゃんねるに書かれたレスの引用です。
 さっさとしちゃいましょう。
  シチュエーション:ピストン時
  発音:「オッf!」(日本人のあえぎ声は声帯を閉じる「アッ」になりがちなので)


 その他個人的な内容が書かれたブログは「嬉しかったとき」「驚いたとき」などの用法が多く乗っていました。詳しくはgoogleさん参照的な。
 以上をまとめて勝手に結論をつけると、

 正しくは「殴られたときの声」うぐっ、やぎゃっとかの類ですね。息詰まり系の発音です。多分近いのは「オッph」 オで声帯を閉じて「オッ」と言った後、無声音の「ph」が一番近いかと。
 また演技性、「オゥフと言ってるのを強調したい場合」ははっきり「オウフ」と言うと思われます。

 そしてそれから派生して、現在では「なんらかのショックを受けた時」に発されるものになっています。具体的には萌えたとき、興奮が絶頂に達したとき、思いがけず嬉しかったとき、などなど。別にショックはネガティブなものだけじゃありませんしね。
 そういう場合も、火傷で「ァチッ」と反射的に言ってしまうように「オッph」または「ォフッ」というのが多いかと思われます。びっくりしたときは「ハッとして息をのむ」の「ハッ」(ハを出しながら豪快に声門を閉じる)となりやすい唐です。つまり「ッ」が入ると思われます。
 ちなみに学術的な根拠は全然なくて、経験則なのでご了承ください。真面目に調べるとかそういう暇はないんで。フヒヒ、サーセンwww

 そういうわけで一応の結論がでました。発音は絞りきれませんでしたが、シチュエーションはある程度イけましたね。

「殴られた時、転じて何らかのショックを受けたとき」

です。これで皆さんも明日からすてきなオゥフライフを!
 すごい無駄な時間を過ごした気分です。二時間くらい書いてたのか。

プロフィール

星野ボウフラ/初緑

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いろんなモノを目指しすぎて何をすればいいのかわかりません。とりあえず今やらなきゃいけないことを全部ほっぽり出して寝ます。

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