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十月の映画総括

 十月は誕生月です。
 だからというわけではありませんが、近年まれに見る映画月でもあったので、まとめ。

見た映画:
 世界侵略:ロサンゼルス決戦
 ファイナルデッドブリッジ
 グリーン・ランタン
 カウボーイ&エイリアン
 猿の惑星 創世記
 三銃士

 大学の頃は映画館でバイトしておりまして、研修名目でタダ見できていたので年に7、80本は映画館で見ていたのですが、最近はなかなか通う機会がありませんでした。二ヶ月に一回とか。
 オヤジの影響で映画好きになったのにこれは寂しい。というより結構ストレスがたまりつつあったところ、九月から十月にかけて面白そうな映画のラッシュ!
 これは久しぶりにハッスルせねばなりませんな! ということで久しぶりに通いました。本当はミッション:8ミニッツも見る予定だったんですが持ち越し。

 評価というか感想としては、6作中4作が上々。グリーン・ランタンがそれなり、カウボーイ&エイリアンがぐだぐだ、という感じ。カウボーイ&エイリアンはこちらで変な期待を膨らませていたのも原因ですな。でもダニエル・クレイグとハリソンフォードがエイリアンとガチで西部劇するよ! となれば世紀のバカ映画を期待してもよかろうもんでしょう。まじめに作りすぎです!


・世界侵略:ロサンゼルス決戦
 宇宙人侵略モノです。この映画がほかの侵略SFと異なるのは、完全に一部隊の視点で話が進むところ。トム・クルーズ版宇宙戦争と同じですな。こういう映画には必ずといっていいほど出てくる大統領も出てきませんし、最初の侵略もテレビ画面越しです。
 全体的な印象はブラックホークダウンと似ています。なんというか、政治シーンを出さないのがFPSゲームのよう。最初から最後までドンパチやってるので、アクション映画が好きな人にはお勧め。敵があんまり宇宙人的な強さじゃないけど。

・ファイナルデッドブリッジ
 前記事参照。超オススメ。シリーズものですがあえて途中から見るなら今作から。ただしクライマックスはあまりファイナルデスティネーションシリーズっぽくない。

・グリーン・ランタン
 3D効果がグッド。逆に言うと映画館でのロードショウが終わった今となっては普通のアメコミもの。主人公が緑なので期待してましたが、グリーンホーネットの方が俺は好きです。あ、音楽はすげえよかった。

・カウボーイ&エイリアン
 期待していただけに肩すかし食らった気分でした。なぜカウボーイを選んで普通の侵略モノやった。「敵か、味方か」というあおりと「VS表記じゃない」タイトルにミスリード食らいましたが、普通のカウボーイVSエイリアンです。普通。俺はてっきり宇宙人と協力してアラモみたいな感じなのかと思っていました。

・猿の惑星 創世記
 見るべき。連れは泣きまくってました。終盤に突入するきっかけとなるシーンは映画史に残ると思う。ぜひ映画館で、ほかの観客と一緒に唖然としてほしい。家で見たら絶対に味わえない驚き。詳しく書くとネタバレになりますが、字幕の方がイイヨ。

・三銃士
 ポスターの通り、見る前に予想できる通りの痛快アクションコメディ。アンパイです。最初から最後までわかりやすくエンタメしてるので見てて非常に楽しい。ミラ・ジョボビッチの寄せてあげてな谷間が見られるのは三銃士だけ!
 まあ普通に美人なんですけど。ほかのキャストも美男美女揃いで、こう、なんていうか、っぽいなぁって映画です。そうそう、イメージ的にはジャッキーチェンの80日間世界一周。あれと同じ雰囲気ムンムン。あれも大好きです。定期的に見たくなる映画。

 

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ファイナルデッドブリッジを超オススメする理由

 ファイナルデスティネーションシリーズの最新作が公開! これは見に行かねばならん! ぜひ公開初日に! ちょうど休みだし1000円デーだし!

 というわけで1日にファイナルデッドブリッジを見に行きました。なんで今頃書いてるのかと言われると、なんでなんでしょうか。

 ファイナルデスティネーションシリーズもついに5作目を数え、ホラーとしてもある程度の立ち位置を獲得してきている頃だと思います。1作目をスカパーかペーパービューで見た時の衝撃はハンパなく、人がどんどん死んでいくのに殺人者もモンスターも出ないという斬新すぎる切り口に危うく土下座しそうになったほどです。
 コンセプトとしては間違いなく新ジャンルを開拓したといえましょう。むしろ独特すぎて後追いなどできないほどの発想勝ちで、よくもまぁ思いついたなこんなの、と今でも脱帽したままかぶり直せない状態です。
 
 とはいってもホラーですし、決して誰でも知っている作品ではないでしょう。というわけで今回は思うさまファイナルデスティネーションシリーズのことを垂れ流したいと思います。シリーズ未見の方、デッドブリッジまで見た方用にわけてお送りします。過激な表現が頻発しますが、あくまでもフィクションであり映画であり現実のなんやかやには関係ありませんのでご注意。


未見の方向け:
 ファイナルデスティネーションというタイトルは「最終目的地」という意味で、主に電車の終点や飛行機の目的地などで使われる言葉です。ホラーたるこの映画の場合、最終目的地はすなわち「死」なんですが、このタイトルがまたいいんですよね。完璧にこの映画を言い表している。
 ファイナルデスティネーションには、いわゆるモンスターは出てきません。最大の特徴でありウリです。このシリーズで主人公たちの命をつけねらうのは「死の運命」という、存在すらしているのかどうか怪しいものです。

 シリーズで共通しているあらすじをここに書くと「大事故によって自分が死んでしまうことを予知してしまった主人公は、間一髪でそれをのがれる。しかしその後、主人公とともに助かった人々が一人、また一人と不可解な死をとげていく。もしかしてこれは、本来事故で死んでいたはずの彼らを、死の運命が捉え初めているのではないか」というものです。
 原因はよくわからないけれど、主人公(シリーズによって異なる)は必ず、自分が大事故に巻き込まれる予知夢を見ます。この事故の描写がまたド迫力なんですが、とにかく目覚めた主人公は、夢の通りに推移していく状況に恐怖を覚え、そこから逃げ出す。このとき、何人かの人間が望むと望まないとに関わらず現場を離れます。彼らが避難した後に本当に起こってしまう大事故。生き残った彼らは主人公を奇異の目で見ながらも、それぞれの生活に戻っていく。しかし、ある時、そのうちの一人が事故で死んでしまう……

 このシリーズは基本的にこんな感じです。前述したとおり「おまえらは死ななければいけないんだよぉ~」と鎌を持った死神が出てきて首を飛ばすような映画ではありません。各登場人物は、まるで事故のように、いろいろなアクシデントで死んでいきます。それはさながら、自ら死地に赴いていくようにも見える。さまざま要因が絡み合い、死に吸い寄せられるように。うまく危険を回避したと思ったらそこにこそ致命的な凶器があったり、あるいは本当に一瞬で死んでしまったり、映画はさながら死亡シーン集と言い換えても過言ではありません。もちろん登場人物は誰も死にたくないのであがくわけですが、それがはたして本当に死から逃れているのか、それとも今とっている行動こそが死の要因になってしまうのかがさっぱりわからないあたりが引き込まれる最大の原因でしょう。死の原因は至る所にあります。刃物、鈍器、いやいや、凶器とは限らない。こけたところに突き出た岩があったり、一歩踏み出したら崖だったり、まさに見える限り全てのもので死んでしまう可能性があります。

 そう、この映画で登場人物を殺すのは怪物ではなく、身の回りにあるものなのです。何らかの表紙に跳ね飛んだ包丁が首を切るかもしれない。倒れてきた看板につぶされるかもしれない。ボールが転がったことから連鎖的にアクシデントが起き、最終的に頭がつぶされる、という風が吹けば桶屋が儲かる的なギャグめいた死に様を見ることもできます。(というか、この映画の場合ガチで「風が吹いたら人が死ぬ」な展開なんですが)

 上記の要素が真価を発揮するのは、実は何でもない日常の風景なのです。主人公たちが歩いている、または喋っているその場所が、ほんの些細なことから惨状になってしまう、という危険性が常にある。しかも日常とはすなわち、私たちが暮らしている日常でもあるのです。周りを見渡してみると、およそ凶器になりそうにないものばかりでしょう。町を歩いてみれば、確かに危険では歩けれども、十分注意していれば問題ないものだってあります。しかし最終的にその「およそ凶器になりそうにないものに凶器のあるところまで案内されてしまう」「十分注意していたはずの危険になぜか身をさらすことになってしまう」という恐怖。90分全てが死の危険。このスリルは半端ではありません。

 とはいっても、その死に様のいくつかにはあきらかに不自然なものがあります。絶対なにかが関与してるだろこれ、とか、こんな都合のいいタイミングで故障するかバカ、みたいなツッコミどころがあるのも事実です。実際のところ、あまりにも都合がよすぎる、という点は否めません。制作側も、目には見えない「死神のようななにか」をイメージしているのは確かです。それでもなお「ヒトコロスイッチ」とあだ名されるドミノだおしのようなアクシデントの連鎖は緊張感を与えてくれますし、それらのアクシデントの結果、すなわち登場人物の最終到達地、すなわち死の瞬間には「あー、いった!」となることウケアイです。

 逆に、これらの要素はすなわちストレスの要因にもなるのです。ぶっちゃけいつ死ぬか、なにで死ぬかがわからないのでは身構えるヒマがありません。となると少しでもなにかありそうな、いやなさそうなところでも常に「ショックシーンの備え」をしている必要があります。だいたい中盤から後半にかけては緊張しっぱなしなので、見終わった後は疲れていることやはりウケアイ。

 ファイナルデスティネーションシリーズは最初に書いたとおり、すでに5作目。しかし最初からみるのにこだわらない人は公開中のファイナルデッドブリッジから見るのも大いにアリです。今回は一作目とタメを張るほど丁寧に作られており、初めて見る人でもわかりやすい(多分)仕上がりになっています。雰囲気も一作目、もしくは二作目に近いものとなっていて、とくに登場人物が覚えやすいのがよい。最後にシリーズ過去作の死亡シーン集がなぜか流れますが、それで興味が出れば一作目から見てほしいと是非是非思います。まぁ3Dは料金高いんで、レンタルで安くあがる一作目から見るのも十分アリですな。個人的にはこっちをオススメします。

シリーズ一覧
ファイナルデスティネーション
デッドコースター
ファイナルデッドコースター
ファイナルデッドサーキット
ファイナルデッドブリッジ

 二作目と三作目のタイトルが超似ているのには理由がありまして、実は海外ではファイナルデスティネーション1~5で統一されています。おそらく二作目の発表時、
一作目がマイナーだったので2をつけるよりそれっぽい邦題をつけようとしたのでしょう。ジェットコースター的ホラーとかけたのかはわかりませんが、デッドコースターとなりました。そうしたら制作側がその邦題をエラく気に入ってしまったようで「じゃあ三作目は最初の事故をジェットコースターにしよう」となったときいています。困ったのは日本側で、肝心のタイトルは二作目で使ってしまっている。さてどうしよう、となって、苦肉の作的な感じで原題の「ふぁいなる」が付きました。ので、三作目以降の邦題は基本的にコンセプトとは全く無関係で、最初の事故がなにでおきるのか、を表しているに過ぎません。もうここまできたら邦題も
 
 ファイナルデスティネーション5:デッドブリッジ
 
 みたいにリライトしてしまえばいいと思うんですが、どうでしょうかね。



以下超ネタバレ:

尋常ではないネタバレです:

視聴前に読むのは絶対にオススメしません:




 6作目にして、最初の事故が完全な「事故」になりました! 事故は人為的ミスから、というようなものではありますが、やはり人の手がまったく入っていない事故が原因で死ぬ、というのはテンションあがるというか、いかにも死の運命らしくてベネです。デッドサーキットは最初の事故が人為ミス過ぎて、確かに巻き込まれるのも運命ではあるのですが、あまり納得いってなかったのもありましてデスね。全体的に俺の中でデッドサーキットの評価は低いんdeathが、というかそのせいもあると思うんですが、デッドブリッジの非常に盛り上がりました。
 また今回は冒頭の死が丁寧に書かれておりまして、誰がどの順番で死んだのかが非常にわかりやすい。ご存じの通りこのシリーズでは「死ぬ順番」が大きな意味を持っており、またその後の展開で「だれだっけコイツ」みたいなことがないわけです。見返すことができない映画館で、またツカミの見せ場であるド派手なシーンで、ちゃんと誰が死んでいるのかがわかる、というのはとてもヨロシイ。二作目から続く死ぬ順番お披露目としては上位の部類ですな。

 反面、その後の死に方には満足行かない点がありまして、とくにクライマックスのサムとピーターの戦いのシーンで拳銃がただの脅しであったのはなんともいいがたいモニョモニョ感が残りました。確かにピーターは死を回避したように見えるのでサムが殺さなければならないのはわかるんですが、それにしたってあの拳銃はもっとギミックに組み込まれてしかるべきじゃないのかと強く主張する次第であります。最初の死でもそうですね。このシリーズ、漏電がカマセ扱いになっている気が。いや、そういや漏電が原因で一人死にましたね。直接の死因じゃないですけど。でもトッドや二作目の歯医者のシーンなどを見ても漏電はカマセですよやっぱ。

 このシリーズは作品ごとに微妙にタッチが変わっていまして、二作目では死ぬ順番が逆、三作目は死のヒントが写真に、四作目は主人公が二回予知を見る、今回は二作目で不発に終わった連鎖からの脱出方法が新たに加わっております。二作目と同じ疑問がわきまして、はたしてこの方法、真実なのか、という点ですね。

 実際二作目の方法も完全に否定されてしまったわけではなく、あれは単に主人公たちが「本来死んでいなかったはずの人に望みを託してしまった」という間抜けな勘違いをしてしまったことが原因での失敗です。実際連鎖に巻き込まれてしまった人が新たに命を得た場合はどうなるのか、についての答えはでていません。

 しかし、今回はまた勝手が違うんですよね。これまで一貫している法則として「死を回避したら順番がとばされ次の人が死ぬ。そして一巡したらまた死の危険にさらされる」というものですが、どうやえこれが崩れているような、崩れていないような感じなんですよね。

 中盤、黒人が故意ではないにしろ人を殺めてしまいます。このときすでに「死を逃れるためには違う人間の命を差し出す」と回避方法の示唆がされているわけで、この時に視聴者が感じるのは「これで黒人の兄ちゃんは連鎖から逃れられたのか」ということです。すると次に社長が死に、黒人は死を回避したことがわかる。この時点では「死を差し出したことにより連鎖からはずれた」のか「死を回避したためにジャンプした」のかはわかりません。
 クライマックスにてピーターが刑事の命を奪います。さてこの時はどうでしょうか。実はこのとき、ピーターにはあまり死の危険が見られません。拳銃が熱せられていて、というようなことはありますが、この時点ではピーターが死を回避したのか、それとも実はまだ「そのとき」が訪れていないだけなのかがわからない状態です。そのためこのシーンでは、はたしてピーターが死ぬのか、順番で言えばその次のサムが死ぬのか、といったシリーズ史上初となる緊張感が味わえるのですが、結局はサムがピーターを殺します。
 わかんねえよ!
 これは「本来の順番通りピーターが死んだ」のか。それとも「ピーターは刑事の命を奪ったことにより死の連鎖から逃れていたが、その命を今度はサムが奪った」のかがわかりません。物語的には後者と捉えられています。その後拳銃やっと暴発しますが、これがサムにあたらなかったのが「そのときではない」だけなのか、それともサムはついに連鎖から逃れたのか、はたまたこれは死を回避して、順番がジャンプしたのか、これがわからない。

 そしてラストです。シリーズファンにはたまらないシーンの後、おおかたの予想通りサムは死んでしまうのですが、これが「そのときがきた」のか、それとも「連鎖は脱出したが、別のイベントに巻き込まれたのか」がわからない。もう一つの予想として「サムが寿命をもらった刑事の死亡予定日がその日だった」というものもあります。
 
 さて、サムが死んだ後、やっぱりおおかたの予想通り黒人も死にますが、やはりこの時も「サムが死んで再度順番が回ってきたのか」それとも「別のイベントに巻き込まれたのか」はたまた「殺人で得た寿命がこの日尽きたのか(彼が殺したのは、もともと脳腫瘍かなにかでいつ死んでもおかしくない状況だった)」のかがやっぱりわからないんですよね。今作の最大の疑問点というか、これ答えによってはシリーズ終了じゃね、となってしまう恐怖。だからうやむやになっているんでしょうけど。

スコット・ピルグリムVS俺



 ショーンオブザデッドの監督である!
 これだけで見るべきなのに(まだショーンオブザデッド以外見てませんが)予告が明らかに面白げで、いつの間にやら公開して終了していたスコット・ピルグリムがTSUTAYA TVで配信されていたので見ました。

 オタク少年が惚れた相手の元カレどもをちぎっては投げちぎっては投げというあふれ出るバカらしさにほくほくして視聴開始したら、

 以外にも強敵だったので戸惑いを隠せません。


 正直、見終わった後にいろいろ捻くり返しても、面白かったのかつまらなかったのかがよくわからない。かといって「フツー」な映画だった訳でもなく、なんとも奇妙な後味の映画であります。まあ、その理由は結構はっきりしているというか、大部分は筋にあると思われるのでチラチラ書いてみる。

あらすじ
 バンドが趣味のオタク少年スコットは、夢の中で出会ったラモーナに一目惚れ。後にリアル世間でも出会った彼女に思いあまって告白したら以外にも速攻でOKの返事がもらえ、当時つきあっていたチャイニーズ系の少女とフタマタをかける。過去の男から逃れてきたというラモーナの話を聞きつつ親密になっていたスコットの前に、突如見知らぬ男が現れて、ラモーナとつきあいたければ俺たち邪悪な元カレ軍団を倒すのだな! と決闘を仕掛けてくる。スコットは見事ラモーナを自分のものにできるのか!?

 という、あらすじで書いてしまうとヒジョーにわかりやすい話ではあるんですが、それが実際のフィルムになるとどうにも難解になってくる。いや難解というより根本的なところをすっ飛ばしているというか「こまけえこたぁいいんだよ!」という監督の雄叫びが聞こえてきそうな展開で、とにかく話がジェットコースター気味に進んでいく。スコット少年は七人の敵と戦うわけで、120分÷7ですからかなりの密度です。矢継ぎ早に出てくる元カレ軍団と超常格闘技バトルしていくスコット少年ですが、不思議なことにこのバトルで繰り広げられるマトリックスばりのアクションについては全く触れられない。説明どころか他キャラのリアクションもありません。

 この「他キャラのリアクションがない」というのが見ている観客(俺)を理不尽の夢の国に誘う原因でして、眼前で繰り広げられているバトルをどう処理していいのやらさっぱり理解できないんですね。これは「そーいうものとして見る」べきか、それともなんかのメタファーとして見るべきなのか(普通こういう見方はしないんですが、あまりに脈絡がなかったので)、混乱している間に話は進んでいく。一人にかかる時間はそう多くないので以外と短時間であっさり終わるんですが、負けた相手がコインになって消えてしまうのも怖い。死んだの? 大丈夫なの? 世間的にはこれどうなってるのかしら、と、おそらくこの映画には不要な心配をしたまま、物語に引きずられていく形で見ていく。

 筋が説明されないのはワタクシにとって非常に恐怖なことでして、逆にいうと筋が通ってさえいれば基本的には楽しいのですが、そしてこの映画、大筋ではスコット少年がすべての問題を片づけてラモーナとくっつけるのか的なものが一貫してあるのですが、ちょこちょこ挿入される異次元シークエンスが邪魔をする。つーか映画の盛り上がり的にはこの異次元の方が見せ場なわけで、もはやワタクシの頭の中はシェイクされつくしてグルングルンです。
 そんな中で残機の伏線はわかりやすくてよかった、と思ったら最初の最初の伏線なんだかなもう一人のスコットが出てきて、しかもバトルなしで仲良くなってイミフ。というのは笑いどころのはずなので、もはやいかに俺のメモリに余裕がなかったかが見て取れますな。

 反面、それぞれの超常バトルシークエンスの演出はわかりやすく一級品です。格闘技の応酬からド派手なエフェクトの撃ち合いから頭脳戦からと、相手ごとにバリエーションにとんだバトルシーンを見ることができるのはよかった。なぜそうなるのだと突っ込みたくなる展開の決着はあるにしろ、このあたりはそれらのギャグとしてスルーすることも可能です(バトルシーン自体をスルーできないのが上記の辛いアレなんですが)

 原作の話も基本的に映画と同じで脈絡なくバトルが始まるとのことで、むしろマンガであれば「ん?」と見直せる分優しいかもしれぬ。ノンストップで進むのは映画の魅力であり、同時に一見では隅々まで楽しめない可能性があるという一長一短なものです。スコット・ピルグリムはマンガも注目されていて、カナダ人が描いたにしては日本人にも受け入れられそうじゃない? みたいな噂がどこからかきこえてきたりする。あわよくば原書版をAmazonでお安くいただけないかと更新しています。
 
 この映画、名前を覚えられなかったのも結構苦労した理由の一つで、結局スコットとラモーナとギデオンしか思い出せません。あとはそれぞれの特長で思い出すんですが、キャラ自体は非常に立っておりまして、よくこんなのを集めたなと言いたくなります。冷静に主人公にアドバイスする同居人のゲイ、とやけに親密に連絡を取っているトムクルーズ似の主人公の妹(アナ・ケンドリック。トムクルーズ顔の女性って美人なんですよ)、オープニングで名前がでたときに目を疑ったクリス・エヴァンズ扮するムービースターのマッチョに、スコットの元カノの現カレの頭悪いDV男。双子のカタ何とか兄弟、レズ、ゲイに食われる妹ステイシーのカレ。もちろん主人公の属するバンド、セックス・ボブ・オムのメンツも最初から最後まで出ずっぱりで、彼らはなぜツッコミ役じゃないのだろうと終始頭を抱えていました(ツッコミ役というのは基本的にニホンの考え方らしいですが)

 というよりトムクルーズ顔のアナ・ケンドリックが美人すぎて、メインヒロインの二人が少しかすんでしまってたのが個人的には少し残念。ラモーナはヒロインには珍しいクールな性格でガタイもよく、別種のかっこよさがあったので個人的にはツボだったですケド。スコットより背高くね?

 原作がどこまでこの映画と同じなのかはわかりませんが(エンディングは違うそうな)、映画については「監督こういうナンセンスなの好きそうだものな。マッチしすぎて突き抜けたか」と誰もが思うようなハイテンションで突っ走っていったというか、まあ一見さんお断りですわなこれ。あらかじめ「こういう映画である」とよく理解しておかないとヤバい。こういう映画をほめてるのかけなしてるのかわからない言葉に「頭を空っぽにして見られる」というのがありますが、むしろこの映画を見るときは気を引き締めないとおいていかれます。現に優雅にゴロゴロしながら見ていたワタクシは、途中で元カレ軍団の残数を間違えて、いないキャラの出番を待っていた。

 ここまで書いて、そもそもこの映画は一見さんは見ないんじゃないかと思った。問題ないわ。

 恒例の重箱の隅タイムですが、邦題の「邪悪な元カレ軍団」は、映画の中でも何度も訂正されているのにアレでよかったのかと。

ジブリを何度でも楽しむ

俺が映画館で見たもののけ姫は、タイトルロールが真っ赤で火の粉が飛ぶようなロゴだったんですが、そのあとに見たすべてのバージョンで白い一枚絵になっていまして、あれは白昼夢かなんなのか、と今でもたまに不思議だったりします。もののけ姫はジブリというものを強く意識して見た初めての映画だったんですけど、アシタカが土井先生に見えて仕方がなかったという謎の思い出がある。

サンはジブリ映画では珍しい、理性の薄いヒロインです。多分。だから主人公にアシタカを配置したのでしょうが、彼もまたジブリ映画では珍しい戦闘系のヒーローで、ヒーローとヒロインの単純な戦闘力指数を足すとジブリ中最強なんじゃないですかね。もちろんバルスとかどうしようもないのもあります。

なにで見たかは忘れちゃったんですが、メイキングみたいなのを見まして、「アクションシーンにおける動作のタメと解放」という動きの解説を見て「こりゃ実写じゃ嘘臭くなるわ、アニメだからできることだわ」と生意気に考えていました。今でもあのシーン(敵の足軽?がアシタカに向かってヤリをぶんまわすカット)を見る度に意識します。


さて。コクリコ坂が始まったので(まだ見てませんが)ジブリ関連で。
こういった細かい点を意識して見ればそりゃ何度も楽しめるのですが、今回のテーマは違います。ズバリ「異言語で見よう」です。ブログタイトルっぽいテーマですね、やっと。
通常、日本の作品を多言語で見るのは非常に難しいです。そもそも外国語で見ようというニーズがかなり少ない(だろう)し、吹き替えが入ったDVDなんかもありません。もちろん外国で発売されているDVDなんかもありますが、それらを輸入しようとするとかなり面倒臭い目にあいます。代表的なのは、

1.リージョンコードの問題
2.海外から配送することの問題

リージョンコードというのは多分海賊版対策で、要するにソフトとハードの規格が同じでなければ再生することができない、というものです。例を挙げますと、日本はリージョン2に属しています。そのため、日本で販売しているDVDプレイヤーなどでは、同じくリージョン2で作成されたDVDなどしか再生ができません。アメリカで早売りされている映画を輸入しても見ることができないんですね。もし見ようとするなら、アメリカはリージョン1なので、リージョン1に対応したデッキを買う必要があります。

もちろんあるものはあるもので、リージョンフリーのデッキやソフトもあります。二万円くらいで買えるのじゃないかな。ただそれらは動作が不安定だったりとそれなりのリスクを覚悟したほうがよいです。リスクが怖いので買いませんでした。逆にソフトはアメリカでは異常に安く、例えば

The MelancholyOfHaruhi Suzumiya: Anime Legends Complete Collection
http://www.fantasium.com/detail.phtml?ID=ANI72376&PHPSESSID=d94ba75f41fbc4d00b7964df093d9224/
涼宮ハルヒの憂鬱 シーズン1 DVDボックス
定価:40$

この値段です。枚数も四枚とサイズ的にも優しい。日本の作品なのでもちろん日本語も入ってます。英語もある。
日本アニメの海外吹き替えはヒドイ、というのがある種の共通見解ですが(るろうにとかドラゴンボールとか)最近はアメリカでも職業声優が出てきたらしく、実際、このアメリカ吹き替えのハルヒもうまい人が揃っています。とくにキョンはナレーションも兼ねているため非常によく喋りますが、綺麗な発音でとても聞き取りやすいです、買ってないんですが。

(あまり大きな声では言えませんが)ニコニコには「リスニング教材」というタグがあります。これで検索すると外国語(主に英語)に吹き替えられたアニメ作品がヒットします。一部抜き出したり、まるm(ryその中に以前はハルヒが上がっていまして、イケナイこととは知りつつも音声を(ry)ipo(ry)聞いておりました。危険なのでやめましょうね★
他にもFundub(素人が吹き替え)なんかもありまして、やはりニコニコにはクラナドのFundubがあがっています。これは必見というか必聴で、素人とはいえナメられないもんです。岡崎、春原、一之瀬あたり完璧。岡崎と一之瀬がであったときの「コノミチャーン」は歴史に残ってもいいんじゃないかと。

すんげぇ脱線してしまいましたが、日本製の作品を外国語で見るのは非常に難しいのです。
しかし例外はもちろんありまして、それがジブリ映画ですね。俺が持っているジブリのDVDは千と千尋の神隠し、ハウルの動く城、の二本です。パッケージを見るとどちらにもフランス語音声が入っています。ハウルには英語も。

ぜひ一度、この外国語音声で視聴してみてください。新鮮な驚きがあると思います。とくにハウルの英語版はクリスチャン・ベールがハウル役というド渋いチョイスです。あの重低音セクシーボイスでずいぶんハウルの印象が変わります。またソフィーは老人と若者で役者が違っており、若々しいソフィーを見ることもできます。とくにこの作品は言語が変わると一気に雰囲気が変わるので、凄くオススメ。

千と千尋の神隠しについてはフランス語です。そもそも純和風(?)な作品ですケド、フランス語が想像以上に合います。必見すべきはハクの呼び方で、コナンで「無音のH」を知った人も多いかと思いますが、フランス語では「アク」になります。千が「アクー、アクー」と呼ぶのがカワイイ。もちろん日本語字幕も入っているので、筋がわからなくなるということもありません。

ジブリの作品であれば家にある、という人もいらっしゃるでしょうし、パッケージ裏を見てみると、何回もみた作品をもう一度、新鮮に楽しめるかもしれませんよ!


「少年の物語」と「怪物の物語」 ~スーパー8~

予告が超面白そうだったスーパー8を7/1の1000デーに見に行きました。

大学一年の時は映画館でバイトしていたこともあり、毎週末といわず映画館で映画を見ていましたが(研修という名目でタダで見れた)、このごろはなかなか足を運ぶ機会がありません。高いし。今年に入ってから見に行ったのも数えるほどしかなさげで、多くはアクトビラやTSUTAYA TVで配信されてから見ています。しかも最近はそっちの方があたりが多かったりしてけっこうやるせない気持ちになったりならなかったり。

実のところ、3月頭~6月末までに公開された映画はなかなか好みにあうのが少ないというのが経験則のようになっていまして、さればこそエイブラムス×スピルバーグという胸沸き心踊るようなタッグにはそれを覆してくれるのではないか、というある種の期待感もありました。それに前述のように、予告が異常に面白そうでしたし。

そうなんです、この映画、予告があまり予告でないんですね。不思議なことに。確かに映画内のシーンを使っているけれども、全編通してみると、予告から得た期待感とは明らかに違う。勝手に改蔵でも取り上げられたことのるいわゆる「予告サギ」というヤツですな。とくにティザームービーにはその傾向が強くて、もはや映画のジャンルが違うレベルです。
映画『SUPER 8/スーパーエイト』公式サイト || 絶賛上映中!!
公式サイトでトレイラーを見ることができますが、トレイラー1、2、そしてテレビスポットでいろいろ一貫していません。テレビスポットの「感動しました」系CMが異様に浮いています。
これから見る方に対してアドバイスをするならば、
「E.T×スタンドバイミーは信じてはいけない。どちらかというとクローバーフィールド+スタンドバイミーである」というくらいです。

欠点を挙げるとどうしてもネタバレになりますので、いい点をいくつか書き連ねましょう。

1.子役がすばらしい
予告でおわかりと思いますが、主演ジョエルの美少年ぷりがハンパではありません。キラキラしています。ヒロインのエル(ダコタファニングの妹)の美男美少女タッグがこの映画にかつてない華をもたらしています。序盤、ゾンビメイクのエルにジョエルが見とれるシーンがありますが、今年の映画の青春シーンNo1といっても過言ではありません。
どのようなアングルでとっても顔が崩れないモノホンの二人を眺めているだけでも楽しい映画だと思われます。
ただ個人的にはエルが12歳とはどうしても思え(ry)

2.鉄道事故シーン
迫力満点です。最序盤のシーンでジョエル達少年少女は鉄道事故に遭遇しますが、突然遅いくる巨大な鉄の塊が彼等を襲いまくります。パニックシーンとして秀逸のでき。目を離してはいけません。

3.映画撮影シーン
タイトルの「スーパー8」はビデオフィルムの企画です。8mmビデオとかの。彼等はスーパー8フィルムを使って自主制作のゾンビ映画を撮影していますが、その撮影風景が随所に挿入されています。子供達が映画撮影している様はほほえましく、見ててニヤニヤ笑ってしまうこと必死。同じく、子供達のギャグシーンもこの映画の笑い所です。

以上!
つまりこの映画、子供達を見て楽しむ映画なんですね。言い過ぎですか?

映画オタクの人へ。
という人達には説明不要かもしれませんが、往年のスピルバーグ映画のパロディであふれかえっている映画です。スピルバーグで育った人は楽しめるはずです。


以下ネタバレ

正直な感想を書くと、1時間映画を二本、ごちゃまぜで見たような印象でした。

一本は子供達の映画撮影を通した青春ストーリー。
一本は未知の怪物の恐怖を描いたモンスターパニック。

これらがどうしても一つにつながらないんですよね。
理由はいくつか思い至りますが、最大の原因は主人公ジョーが未知のエイリアンに対し、大して興味を持たないところだと思います。実際、彼がエイリアンに大して積極的に接触しにいったのは最終盤の一度だけですし、それも想い人を助けに行くという理由からです。映画のほとんどの時間、彼はエイリアンよりも仲間との映画撮影や、エル演じるアリスとイチャイチャすることに熱心です。実際、彼の住む田舎街に起きている以上事態がエイリアンの仕業であるという情報をしること自体がかなり時間が経ってからなのでしょうがないともいえますが。(カメラに写ったエイリアンぽいのを見るのが結構後半。もっと早くてもよかったんじゃないかと思う)

実際に事態の究明に当たるのは、彼の父親で保安官助手(だっけ?)のジャックで、しかも途中で捕まってしまうので、結構放置されます。にもかかわらず、映像等で視聴者には「エイリアン的な怪物がやってるっぽい」というのがまるわかりなので、なかなかエイリアンを中心としたストーリーが展開しないのがヤキモキする原因になります。

序盤に張られた伏線がよくわからない形で消化されるのも謎でした。
犬が逃げた→見つかった(のちの展開に特に影響なし。犬だけの意味は?)
ジョーが持ち帰ったキューブが部屋の壁を突き抜けて貯水塔(?)へ(ジョーに影響なし。持ち帰った意味は?)
ぶっちゃけジョーがキューブをエイリアンに手渡すのだと信じて疑っていませんでした。

エイリアンの姿を病的なまでに見せないのは、エイブラムスが関わっているクローバーフィールドを想起させます。が、この映画でエイリアンの姿を隠す意味もよくわからない。クローバーフィールドで姿を見せないのは「個人がカメラ撮影をしているため」いろいろなものが邪魔になっていたり、逃げているためにうつっていなかったりといった理由づけが自然だったのですが、今回は普通に神視点の撮影なので、エイリアンの姿が見えないのが「そうしたいから」以上の意味がなさそうに思えます。姿が見えないのが妙に不自然なんですよね。

エイリアンは以前に宇宙船の故障かなにかで地球に墜ちてきて、そこを捕らえられて実験台にされたため、人間に敵意を持っているという設定です。そのため容赦なく人間を襲って殺すのですが、「触れるだけで彼の考えていることがわかったんだ」という不思議な意志疎通方法も持っています。
映画内ではエイリアンと接触し生き残る人達がほんの少しいるのですが、サブキャラ達はともかく、主人子であるジョーすらもなんの演出なしに「わかるよ、君の気持ち」と初対面のエイリアンに言ってしまうのはどうでしょうか。しかも目の前で二人の人間を殺し(たと思われる)今まさに自分を殺そうとしているエイリアンに向かってです。なんかジョーがブッダに見えます。

ジョーとエイリアンがすれ違いであっても近くにいたのは冒頭の列車事故と、終盤の二回だけです。時間では15分もないでしょう。これではE.Tなど望むべくもなく、そこからのラストシーンで感動するにしても、それはエイリアンとジョーのふれあいの結果ではないでしょう。
「いじめられたエイリアンがやっと蛮族の元から逃げ出すことができてよかった!」といった具合です。さすがにうがちすぎでしょうか。

ジョーとエイリアンの接触が非常にすくないため、この映画にはまったく違う二つの雰囲気が混在します。
それが「クローバーフィールド+スタンドバイミー」と表記した理由でして、別に相乗効果をもたらしているわけではないんですね。
それぞれ単体で見ると結構いいのが惜しいところでして、ジョー達の青春日記のシーンはハイレベルな青さで、またエイリアンに襲われる街もいい感じに「わけのわからない恐怖」を演出することに成功しています。残念なのは、その二つが完璧に水と油だったことですな。

個人的には、とあるシーンがこの映画を語っているのではないかと思います。個人的に非常に印象的なシーンです。
鉄道事故の現場を背景に映画を撮影しているシーンです。
ジョー達にとって大切なものは、エイリアンよりほかにたくさんある、ということですね。それはエンドロールで流れる映画からもわかると思います。
この映画にエイリアンは不要。

ネトゲ廃人をテーマに据えて ~RPG~


非常に一般的な用語のため検索に埋もれがちな映画、それが「RPG」です。
一般的過ぎるタイトルといえば「GAMER」もそうですな。これらはそういうタイトルの映画であるという前置きが必要なので、友人に紹介するときに苦労します。
その点、非日常的なタイトル(スターウォーズなど)は「ああ、アレね!」と意志疎通がよくて羨ましいです。ほかにも大作であったり、俺達と同年代にはあまり知られていない固有名詞(両方満たしているのがスーパー8。そういう名前の秘密兵器か宇宙人かと思った)などはわかりやすくてよいですね。それに比べてこの「RPG」のわかりづらさ! 一般名詞すぎてあまりにも内容が見えない気がします。原題は「The Wild Hunt」で、確かにちょっと馴染みは薄いかもしれません。

日本ではRPGといえばテレビゲームという印象が大半なので、いっそのこと「ロールプレイング」としたらわかりやすいのではないでしょうか。そういう映画ですし。

さて、この映画はネトゲ廃人をテーマにした映画です。といってもいわゆるネトゲ廃人がそのまんま出てくるわけではない点に注意。ネトゲ的遊びにはまっている、というくらいの意味でどうぞ。

あらすじ
主人公エリックは父親を介護しながら働いている。同居している恋人はその介護生活にストレスを感じており、週末になると男達と山奥に遊びに行くようになった。エリックの兄が誘ったその場所では、各地から集まったファンタジー好きの面々による「なりきりゲーム」が行われていた。そこでは人々は中世の衣服に身をまとい、手には武器と盾を持ち、それぞれ身分や称号を持つ。二分された勢力はどちらも相手を滅ぼすために、戦いを繰り広げていた。
父親の介護、という点で引け目を感じていたエリックは彼女を自由にさせていたが、コミュニティの一人が自宅を訪れた際の言動にとうとう我慢の限界が訪れた。最愛の人を連れ戻すため、車にのって会場を目指すのだった。

「本格的なコスプレカーニバルにはまってしまった彼女を現実世界に連れ戻す一般人の兄ちゃん」が主眼におかれた物語です。
カナダ(かどうかはわかりませんが、カナダ映画なので多分)の山奥で毎週末繰り広げられる大規模なイベント。各地のオタク達が思い余って作り上げてしまった一大コミュニティ内はまさにファンタジー世界。建造物から装飾品まで中世を意識したものとなっており、王女を頂点とした国家組織と、蛮族達の二つの勢力にわかれています。彼等はそれぞれ自分のキャラクターを持っており、会場内ではロープレに勤しんでおります。
もちろん「ごっこ遊び」であるため、武器は持っていますがゴム製です。万が一にも怪我人が出ないよう、スタッフによって厳重に管理されています。戦いも互いに殺し会うという名目で、実際は先に五回叩かれると死亡扱い。死亡した人はしばらく大人しくリスポンを待つ、というように、ルール付けされた世界で微笑ましく遊んでいるのが実際のところです。

本質はコスプレなので、集まっている人達もそれなりにオタクな人達のようです。ある密命(笑)を受けて現実世界のエリック宅に現れた兵士に対し、彼は「負け犬だな」と嫌味を言いますが、兵士は堂々と「幸せな負け組だよ」と胸を張る。ビッグサイトに並んでてもおかしくない感じですね。

あらすじの通り、エリックは恋人のエヴリンを連れ戻すためにそのコミュニティを訪れるのですが、そこで繰り広げられていたのは到底信じがたい光景でした。現実世界を想起させる服装や小物は一切NG。受付の人間もがファンタジー世界の登場人物になりきってまったく話が通じない。会場に飛び込んでみれば、いるわいるわのコスプレイヤー達。
もちろんエリックは遊びに来たわけではないのでロールプレイングなど無視して恋人の居場所を尋ねて回りますが、住人は「演技をしろ」の一点張りで聞く耳持たず。驚くやら呆れるやらのエリックの前に、エヴリンを誘った張本人である兄が現れます。
「嬉しいぞ、我が弟!」

ダメだこいつ。
イイトシしたエリックの兄は重度の廃人で、この会場内では「バイキングの戦士」を名乗り、伝説の鎚を獲物に蛮族にさらわれた姫を助けだそうと息巻いていました。
口から飛び出すのは「我こそはバイキングの勇者!」「戦士の誓いを!」といった中二的な台詞ばかりで、要介護の父親をほっぽりだして出ていったことにまったく罪悪感を感じていない。すでにブチギレのエリックは兄に詰めよりエヴリンの居場所を聞き出そうとしますが、その口から発せられたのは驚愕の真実(設定)。

エヴリンは彼等の姫で、今は蛮族達に森の深くに囚われていたのだ!

気が気でないエリックは慌ててその蛮族のもとを訪れます。いわゆるGM的な役割を持つ「調停者」(といってもあまり権限はない)の姉ちゃんの力添えで蛮族の首領に合ったエリックは、やはり話の通じない蛮族の説得を諦めて、直接エヴリンを説得しようとします。しかし帰ってくるのはつれない言葉ばかり。「身分を弁えろ1」「演技をしろ!」と針のむしろ状態で逃げ帰ってきたエリックに、兄は悪魔の囁きをします。

「ルールに乗っ取って奪い変えせばいいじゃないか。力になるぞ」

かくしてエリックは、小数の仲間とともに蛮族共に夜襲をかけ、エヴリンを助けだそうと決意するのでした。

この映画の見所はいくつかあり、その内の一つは間違いなく「映画中でキャラクターの演技をする役者陣」です。劇中劇という設定なので、彼等はもともとは普通に暮らす人々で、ファンタジー世界のキャラクターを演じています。その演技が大仰で芝居がかっており、思わず見ている方が恥ずかしくなるような稚拙っぷりで終始ニヤニヤしっぱなしです。とくに主人公の兄は一際光っています。中二ぷりを是非堪能あれ。
また、プレイヤー達はしばしば素に戻り、ゲームのルールについて口論します「俺が先に五回叩いただろ!」「これは体が見えなくなる呪文だ! 見えないんだぞ!」
この戻りっぷりも非常に楽しく、会場内の小道具やそれまでの雰囲気が結構それっぽいこととのギャップが笑いの要因になっています。オープニングは必見ですな。

主人公であるエリックはそういったオタク的趣味とは無縁で、会場を訪れた理由が理由だけに演技などする気もありません。これがこの映画の核心になっているといってもよく、せっかく同じ趣味の人間達で楽しくやっているところに「なんだおまえら馬鹿なことやってんなよ」と土足でズカズカ入り込んでくる人間は非常に不快なわけで、いきおい態度は冷たくなりがちです。とくにエヴリンは役柄的にも、これから始まるシナリオの要なので、そこに恋人をなのる馬の骨が現れてピーピーわめくのだからたまったものじゃない。

逆にエリックにして見れば、今の生活が崩壊しかねない瀬戸際に、彼女と話をするためにやってきたはずが「姫を敬え」「コスプレしろ!」「ルールを守れ」とオタク集団から要求されるのがイライラするわけです。確かにごっこ遊びではあるが、恋人のエヴリンは見知らぬオタク共と鍵もついていないところで夜を明かすわけで、いつ間違いが起きてもおかしくない。いや、すでに起きてしまっている可能性だってあるのです。そんなところに足しげく通う恋人も恋人ですが、とにかくここから連れ戻して理性的に話をしたい。

という両サイドの不和を如実に感じ取れ、どちらにも感情移入できるという一挙両得な映画です。どちらの立場を応援するかは見る人次第ですが、これが最後に悲劇を生み出す要因になるので是非ドチラかを応援して欲しいですね。


以下は物語の核心です。

ある程度事前に予想がつくと思いますが、この映画も最終的にはごっこの域を出て暴走が始まります。ルールに乗っ取って遊んでいたのが、実際に殺し合いに発展してしまうんですね。この元凶が主人公の行動にあるわけです。原題でもある「The Wild Hunt」はゲーム内のイベントの一つで、囚えた姫をイケニエに捧げ、復活した姫を先頭にもう一方の陣営に最終決戦を挑む、というものです。そのために姫は蛮族達といるわけですが、訪れたエリックの行動にカチンときたのか、それとももともとそういう予定だったのかしりませんが、彼等は極端な行動に出ます。
姫をイケニエに捧げるときのドッキリ。エヴリンのまわりで始まる怪しげな儀式。蛮族の首領が持つ鋭利なナイフ。あまりに真にせまった異様な雰囲気に、昼間のこともあるエヴリンは命の危険を感じます。マジで殺す気だコイツ! 恥ずかしながら見ている俺もカチコチに緊張してしまっており、ここから始まるデストロイの予感をびしびしと感じていました。

そしてまたここが、このRPGという映画のおもしろいところなんですが、演技をするプレイヤー達はギリギリのところまで理性的です。狂気にかられて暴動がおきるわけではないんですね。げんにこの儀式もひっこむナイフを使われており、あまりの恐怖にモノホンの悲鳴をあげてしまったエヴリンを囲んで笑う蛮族達。ワルノリが過ぎますが、彼等は滅多なことでは一線をこえません。

そこに現れたのが、姫を取り戻しに来たバイキングの戦士たちです。禁則である夜襲に戸惑った蛮族達は、もうつきあってられんわ勝手にしろ!と逃げ出したエヴリンを追い掛けますが、一足先にエリックが連れ去ってしまう。せっかくイケニエの儀式までして用意万端だったはずがぶち壊しです。このコミュニティの誰もが楽しみにしていた「The Wild Hunt」は是非とも成功させねばならない。そんなわけで、蛮族達は人間の世界に現れて、エヴリンを説得しようとします。

「今夜一晩だけでいいから、協力してくれ。イベントが終わるまででいいから」

といわれても、あんな趣味の悪いイジメにあったエヴリンは戻るつもりなど毛頭なく、恋人を連れ戻して図に乗っているエリックと一緒になって首領をメタクソにけなしてしまいます。
とりつく島のない首領は、このコミュニティを数時間で壊滅せしめたエリックを睨みつけ、去っていきます。

さて森から蛮族達が現れて、ちょっと早いがいよいよ最終決戦かと意気込んでいた人間やエルフ達は、なにもせずに去っていく蛮族達を見て慌てます。数週間前から懸命に盛り上げてきたイベントが不発に終わる。しかも突然現れた外部の人間が原因となれば冷めること氷のごとし。あっという間に気分を削がれてしまった参加者達は、エリック一味をさんざんに罵って帰り支度を始める。

そのころ、森の中では、蛮族達による決意が行われていた。

この決意の部分は物語りのキーポイントになる部分で、彼等が「狂気に陥ると自ら選択した」のが非常に印象的です。そのほかの映画が知らず知らずに異常事態へ発展して行くのに比べ、RPGはこの一点から急転直下です。彼等は自分の身分証や財布などを火にくべて、現実世界からの決別をあらわにします。このときの光景がローテンションで、どちらかといえば物寂しげに描かれているのが印象的です。

ここから予測不可能のエンディングへと一直線ですが、まさかエリックが死んでしまうとは思いませんでした。すごく予想外。このあたり、視聴者もエヴリンに愛想を尽かしている時分だと思いますが、それでもエリックとエヴリンが死ぬのは衝撃的でした。 そして生き残るのも意外な人達で、人選が特徴的なのもおもしろい点ですね。
最終的にコミュニティは潰れ、多くの登場人物の生死もわからないまま、兄がエリックのかわりに父親を介護するシーンが映し出されます。もちろん、けじめはつける。伝説の鎚とともに。


主人公の主目的がヒロインな映画にはありがちですが、このヒロインも大概ウザいのが難点といえば難点です。ぶっちゃけた話、ストーリー後半では「もうそれはいいから、エリックは代わりにいいひとを見つけなよ」と同情したくなる有様で、蛮族達に恐怖を味わわされて逃げて来たくせに、そこから救い出してくれたエリックもやっぱり不満というワガママさは始末におえない。そのエリックの命がつきたあと、何をしたかといえば蛮族の首領の前で自殺ですから、いったいエリックをどのように思っていたのかさっぱりです。完全にエヴリンに振り回されてしまったエリックがかわいそうでかわいそうで、そのためこの映画の後味は非常に悪いものになっています。

全体的にローテンションな演出だったり、もうちょっとこの突飛な設定をいかせたのではないか、という惜しい映画ですが、おそらくこれをサイコスリラーとして見ることが多分間違っているのではないかと思います。宣伝の賜物ですな(この辺はスーパー8にも言える)かといって青春モノや愛憎劇として見るのもちょっと違い、あえて結論づけるなら「ドラマ」という非常にあやふやでおおざっぱなカテゴライズになってしまうのがもにょもにょする。

たんなる「ゲームと現実の区別がつかなくなった!」という映画ではないんだ、ということをネタバレせずに伝えるにはどうすればいいんでしょうねえ。

プロフィール

星野ボウフラ/初緑

Author:星野ボウフラ/初緑
いろんなモノを目指しすぎて何をすればいいのかわかりません。とりあえず今やらなきゃいけないことを全部ほっぽり出して寝ます。

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